
どうも、りゅうけんです。
ちょっと胡散臭めのICOのホワイトペーパーにはよく、「ブロックチェーンによって国家は消滅するに違いない!」「これからの未来を創っていくのは俺たちだ!ウェーイ!」みたいなポエムが書いてます。
確かに、ブロックチェーンは破壊的技術です。銀行を始めとした、国家が保有する権限は分散管理され、国家はその存在意義を徐々に失っていくでしょう。
だけど、そもそもブロックチェーンの本質は国家を解体することではないと思うんですよね。それは飽くまでおまけにすぎない。
ブロックチェーンが破壊するのは「国家」ではなく、「画一性」ではないかと。そう考えると仮想通貨の進む方向が見えた気がしたのでメモ。
仮想通貨はブロックチェーンの序章
仮想通貨は、ブロックチェーンを表現するひとつの手段に過ぎないんですよね。
ブロックチェーンの「非中央集権」「分散管理」といった概念をわかりやすく人々に伝えるには、「中央集権」「集中管理」の最たる例である、「通貨」のアンチテーゼとして打ち出した方が対比的に理解しやすい。
また、通貨としての機能は多くの人々を投機に走らせます。その結果、ブロックチェーンはコストをかけずに認知を高めることができるわけです。
言ってしまえば、我々は仮想通貨を買った時点でブロックチェーンのアフィリエイターなんですよ。儲かった儲からなかったでTwitterでやいのやいのやってること自体がCMになってるわけ。で、通貨の価値が上がれば初期保有者のアプリ開発のモチベーションになったりするし、良いことずくめ。ところがそれらの現象はブロックチェーンがもたらすほんの一部。ブロックチェーンの影響力が及ぶ範囲は、もちろん金融システムだけにとどまりません。
僕は、「地理的な制約に起因する固定化された文化」を全て溶かしていくものと考えています。
多様性を無視する社会
まず、既存の社会システムは「個人の多様性を無視することで多様性を受け入れたつもり」になっていると思っています。現代の社会システムは、多様性を無視することで多様性を実現したつもりになりがち。真面目な子とヤンキーが同じ学校で授業を受けるのって、イスラム教とキリスト教徒が同じ屋根の下で生活してるくらいの違和感があるのに、「みんなちがってみんないい」とかわけのわからない洗脳でごまかす。
— やまもとりゅうけん (@ryukke) 2018年2月10日
何を大切にして生きてるかって人それぞれ違うじゃないですか。お金が全てだって言う人もいれば、お金なんて無価値だと言う人もいます。彼らが同じ経済圏にぶちこまれ、「みんなちがってみんないい」とか言わされてること自体がそもそもおかしいんですよ。
僕は真面目な子とヤンキーが同じ学校で授業を受けていることにも違和感ありましたよ。イスラム教とキリスト教徒が同じ屋根の下で生活してるみたいな窮屈感があった。
本来、細部のものの考え方は違っていても、ある程度同じ主義主張を持った人間同士でつるむのがコミュニケーションの自然なあり方です。そして社会がそれを許すのが多様性を認めるということではないかと。
で、それを実現するのがブロックチェーンじゃないかと思うんですよね。
ブロックチェーンによるボーダレス化とは
ブロックチェーンは個人が小さな国家を創り出すことを可能にします。
僕は現在300人規模のオンラインサロンを主宰していますが、所属メンバーは少なからず僕の生き方や価値観に共感してくれている人達です。
近い価値観を持った人間を特定の場所にとどめておくこと自体はインターネットが可能にしましたが、そこにブロックチェーンという概念が浸透すれば、独自トークンを使って経済圏化し、資本主義のあり方が細分化する可能性があります。
これこそ多様性を受け入れるインフラになりうると思うんですよね。
これまでは地理的な制約によって人の価値観は画一化されてきました。日本人とアメリカ人では考え方は違うし、同じ日本人の中でも大阪人と東京人は別だったりします。
ただ、日本にもアメリカ人のような発想をする人もいれば、大阪人だけど東京人のような発想をする人もいます。インターネットとブロックチェーンがあれば、彼らが地理的制約を超えた仮想空間で自分の居場所を見つけ、そこで生活を完結させることも可能となるでしょう。
まとめ
ブロックチェーンが国家を溶かすのは、「多様化」という大きな潮流の中の一部にすぎない。
既存の社会システムによって国土に織り込まれた価値観をボーダレス化し、影響力を持つ者はテクノロジーを活用して独自の経済圏を創り上げる。価値観の数だけ多様な社会が形成され、その中でブロックチェーンが真に社会インフラになっていく。って感じだと思うんですよ。
だから単に法廷通貨と仮想通貨を比較してただの投機だとか、実用性がないとか議論するのもズレていて、投機は飽くまで認知を稼ぐ手段であり、そもそも法定通貨に代わって実用化されるような代物でもないだろうという認識。
仮想通貨を通貨と呼ぶのはもうそろそろ止めた方がいい。改正資金決済法が失敗だった。この法が誤解を加速させた。通貨とは財と交換できる信用力を有するもの。あくまでも信用力。今の仮想通貨と言われているものに、その信用力はない。鼻毛、偽札と同じ。信用されれば初期保有者がぼろ儲け。 https://t.co/lFaFuwMihS
— 橋下徹 (@hashimoto_lo) 2018年2月9日
(そういうことじゃないんだよ!そういうことじゃ!)
何度も言うけど、ブロックチェーンが破壊するのは「国家」ではなく、まず「画一性」。人々が自由になる過程でどんな技術が望まれるのかというところに着目すると仮想通貨投資もうまくいくんじゃないかと思います。
投資は自己責任でお願いしますけど。